わたしの夢と、戦争反対と。
書きなぐりです。今感じた事を記します。
戦争反対は感情論であると私は思います。
先ほどまで私は夢のまどろみの中にいました。
ひどく悲しい夢でした。
そして、その夢を見て思いました。
戦争反対は感情論である以上にもっと大切な意味を持っている 。
私は夢の中で、大切な人を失うという追体験をしました。
大切な人、それはすなわち家族です。
なぜ家族をうしなわないといけなくなったのかそこに関してはあまり覚えていません。
しかし、いま起きてふと気づくと自分がの目から涙目がボロボロ溢れていることに気づきました。
たかだか、夢、のはずなのにです。
何か失うというのは非常に悲しいです。
耐え難い苦しみです。どうしようもない辛さが自分を包み込みます。
絶対に失いたくない。そう感じて仕方がない。
当たり前です。人は1人では生きていけない。
1人にはなりたくないからです。
戦争反対という考えには、
本当に心の底から
もうこれ以上失たくない。
絶対に嫌だという
悲痛な思いが込められている事に
気づかされました。
今まで私は、戦争反対という意見に対し、
どちらかと言うとしても仕方がないじゃないか、ぐらいに思っている節がありました。
したくはないけど、なるなら仕方ない。
私は戦争を経験していない世代の1人です。
いくら頑張ろうと、自分で経験していない上
想像の域を出ません。
しかし、私は何か勘違いしていたということを強く、強く感じました
くだらないと笑うかも知れませんが、
私も家族を失ったからです。
悲しい体験をしたからです。
絶対に失いたくない。
こんな思いはもうまっぴらだ。
他の人たちにもこんな思いを絶対して欲しくない。
戦争反対という論は単なる感情論ではないとはっきりと感じています。
人は、自分の経験からしか物事を判断することが難しいと思います。
今回の場合、私は夢の中で人を失うと言う非常な曖昧な体験と、戦争反対という意見からはこの学びを得ました。
戦争反対の話は、完全に飛躍した話だと思います。
いきなりどうした?
と思われるかも知れませんが、
突然私の頭に飛んできたものなので、
あまり気にしないで下さいね。
以上の事から、私は
戦争反対と言う感情論は失った者の心の叫びがあると言うことを強く感じました。
少しだけ、
戦争反対という考えについて言うならば、
問題解決の糸口は、
どうすれば戦争が本当に無くなるのか、
平和の世の中になるのかを具体的に考えられるかだと思います。
どうすれば、本当に解決するのか真剣に向き合わなければいけません。
感情だけでは世界を動かすことができません。
ロジカルに、経済的に、政治的に、思想的に変える仕組みを作っていかなければいけません。
ですが、
感情抜きに世界を動かす事はできません。
このことを私は夢の中での追体験と戦争反対と言う感情論から学びました。
戦争反対と言う感情論。
それは悲しみを受け入れ、
乗り越えようしている人達からの
私たちへのエールである。
そのようにも今は思えます。
私自身は世界平和にまで、人生視野を広げることはなかなか出来ませんが、
日々の生活、家族を大切に行動する、
それと同じくらい世界平和について
考えようと思いました。
夢よ、ありがとう。